結婚してみました

私がこのブログを始めたのは、結婚相談所に入会すると決めてお金を払ったからです。うまくいくかわかりませんが、どっちに転んでもそこそこ面白い展開になるかと思って。

こわがらない

私は今までずっと、かなりひどいアダルトチルドレンだったと思う。今も結構そうかもしれない。

 

周りのことを信じることができず、常に周囲の目に怯えて生きていたと言っても過言ではない。

 

仕事を転々としてしまったのも、心が折れやすかったからだ。外から受けたストレスを、自分の心の中でさらに巨大化してしまったり、これから受けるかもしれないストレスを想像して、周りに壁を作ってしまう。

 

私の心の中はこうだ。

自分の仕事は完璧でなければ周りから非難されるだろう。用意周到に準備するから時間がかかる場合がある。あるいは、どんどん仕事を頼まれても嫌と言えず、結局とことん最後までやってしまう。しかし残業が多いと仕事の効率が悪いのだと、周りからは思われる。必要なことをこれでも精査して最大限スピード感を持ってやっているのに、なぜ非難されるのだ?私が悪いのか?きっとそうだ、みんな細かいことは考えず、誰も自分の味方にはなってくれない。

 

こんな心の中の敵といつもいつも戦っている。

 

私はダメだ、周りが私を嫌っている、私が嫌われるのは私の中にダメなところがあるからだ、わかっているけどすぐには変えられない。。。

 

こんなに頑張っているのになぜ?

完璧ではないけど努力をしてきたのに。どこまでを目指したら、認めてもらえるの?

 

達成しても達成しても、おまえはだめだという声が聞こえる。お前は可愛げがない、だから人に好かれない、人から好かれないのはだめだ、そんな人間はろくな大人になれない。だから結婚もできないし、仕事でも評価されないんだ。評価されない仕事にしがみついて、馬鹿馬鹿しい。仕事のために別れた男は皆もう結婚して子供をつくった。子供ももう年齢的にできなくなる。中途半端でみじめ。。。

 

周りに対しても妬む気持ちがある。

事実上、仕事を突き詰めてやっておらず、交渉もできず完結させられない若い人でも、総合職というだけで上のポジションにいる。

私はなぜ質的にも総合職を上回る仕事をしているのに、安い賃金なのだろう?もしかして私の仕事は、自分が思うほどやる価値のない仕事なのか?いや、流石にそれは自分でもわかる。そんなはずはない。

 

何もない人だと、だったら希望出せば?

なのだけれど、生まれてから今まで、ほとんどwantを出したことがなかったのだ。子どもの頃から、周りから勧められたことにイエスというだけで、自分からこうしたいからやりたいということを許されてこなかった。次第に、本当は自分で言わなければいけないところまでも、虎が出てこなければ何もしない狐のごとく、自分からやりたいと言って責任を取るということをしてこなかったのかもしれない。

 

こんな思いを、素直に自分の中に認められるようになったのは、実はごく最近だ。

 

アダルトチルドレンの苦しみを解決したいと強く願い、いろんなことを整理したり、アプローチをはじめた。

 

生い立ちをふりかえり整理するとき、親に対する恨みが表面に出てしまう。この親への恨みを認識することは、同時に自分が精神的に幼い人間であると周りに開示することでもあり、恥ずべきことと思って今までできなかった。でもそれは必要なプロセスなのだ。

 

私が親から愛情をもらうには、親の期待通りに動く、という条件つきだった。女の子らしく、口答えをせず、母の希望する服を着て、母が許す部活に入り、母の望む成績を取り、母の望む友人と付き合い、母の許すタイミングで恋人を作り、母の思い描く大学に行き、母の理想とする会社に入ってそこで結婚する。。。。しかもそうならなそうになると、こんこんと人格否定をされ、お金を出してくれなくなった。この頃、母も更年期と貧乏で常にヒステリックだった。しかも、思い込みが激しく、論理的な話は絶対にせず、今の時代で言うところのアスペルガー的要素もあり、親であると言う立場を大いに利用して無理難題を言ってきた。こちらも歩み寄ろうと家の手伝いをたくさんしたが、それを逆手に取り目に入るものすべてを細かなところまで否定した。

 

私は小学校高学年あたりから、一切母の希望するようになれなかった。成績だけは良かったが、母が思うように振る舞おうとすると、友達ができなくなった。中学ではハブられた。どう考えても母のせいであるのに、周りとうまくやれないのは私の性格が悪いからだと母からはさらに追い討ちをかけられた。家では母の思うようにいかないと人格否定と経済的支援のストップという制裁がまっており、その通りにすると学校でハブられるという、どっちに転んでもだめな構図になっていて、私は学校を飛び出すようになった。

 

誰が見ても優等生のように振舞っていた私が豹変したので、担任に呼び出された。担任に一度だけ本当のことを伝えたところ、担任は親を呼び出して、家庭内の問題を指摘した。すると今度は家に帰って、母は私をさらに叱責し、制裁が強められただけだった。さらには、学校のカウンセリングなど受けようものなら、精神に問題がある子供がいるなど親として恥だ、と言った差別的態度まで示したので、私は心を閉ざすしかなかった。

 

16歳で進学校に入学し、私は親の望まない部活にわざと入り、反抗を強めた。おかげで私の高校時代はバラ色になった。しかし高校2年で学校でうまくいかなくなった時、私はまた学校と家庭の両方に居場所がなくなり、ついに死を覚悟で家出をした。

 

しかし、これも結局失敗。200kmほど離れたところまで行ったが、結局夜になっても死ぬ勇気がなかったのだ。

 

それでここから私は、どうすれば、親から徹底的に離れて、自由が認められるのかを考えた。

それが、経済的自立と、物理的に距離を取る、と言うことだった。

 

そこから私の親から離れる計画が始まった。一番大変なのはお金だったが、経済的に弱みを握られていては、自立はできない。大学に行かず働いたほうが早いと思い、一度は大学進学をやめたが、ろくに勉強してこず、チャラチャラした生活を送ってきて、おやに全部お膳立てしてもらうような同級生に、相手が大卒だというだけで、今後数十年も見下されながら行きていくのかと思ったら、なんだか悔しかった。そこで、自分もとことんやれるところまではやろうときめ、旧帝大の地方の国立大学に合格し、授業料免除も受け、奨学金も借りて、なんとか離れることだけはできた。

 

しかし、何をするにも世の中金である。決して贅沢をしたわけではないが、いろんなものを100均で集めたとて、なんだかんだと金がかかる。結局貧乏は本当にしんどい。疲労とストレスで大学生の時にうつ病に、社会人2年目で反応性ストレス障害というものになったこともある。それでも働き続けたが、20代は本当に本当に苦労した。そのうえ転職も繰り返していたから、いよいよ人生終わったという感じだった。

 

28歳で今の会社に入った後も、強くストレスを感じることが多かったが、ここで踏ん張らないといよいよ終わりだと、なんども泣きながら乗り越えて、いま、9年目。9年間の中に、会社を辞めたいと思わなかった日は無い。

 

 

私がアダルトチルドレンという言葉を知ったのはたぶん、20歳の頃だった。私は自分の生い立ちの問題のそもそもの原因は、家庭の経済的な貧困によるものと考えており、大学でもそのような研究をしていたが、内心は経済力という指標のみならず、親子関係にもなんらかおかしなことがあると考えていて、様々な本を読んだ。でも、改善するためのメソッドには、やはりお金がいるようだった。やはり、経済資源が限られていると、選択できないことが多すぎる。経済的困窮者はとかくメンタル面での困難を抱えやすく、それ故にまた稼げなくなるという負のループの中にいるというのに、メンタル面での困難の克服に際してカウンセリングの料金は高すぎて、解決の手段がない。しかも、周りに対して不信感を抱いてしまっているから、安易に心を開くこともできない。

周りにたった1つの安心できる関係がないということは、もはや堕ちるところまで堕ちるということだ。

 

私を救ったのは、大学時代の友人であり、のちに恋人になった人物だ。私が親とうまく行かず孤立し、しかし病でどうしようもないとき、その全てを無条件に受け入れ、生活支援までしてくれた人だ。ところが彼の住む地方都市には仕事がなく、私は彼に負担をかけるばかりで自分の存在意義がないことで苦しみ、愛情と依存の境目もわからなくなり、ついには彼に結婚を迫って苦しめてしまい別れた。

 

最終的には結婚を諦めて東京に戻り、必ず正社員でまともな会社で働くと決意。私はもはや、働くしかない。出稼ぎ労働者の気分であり、逃げる場所はもうないと考え、今9年目にいたる。

今も日々仕事でとてもストレスを抱えている。

取引先に言いがかりをつけられたり、全ての努力をかっさらわれたり、よく状況のわからない人が有る事無い事を言って責任をなすりつけて来たりする。

 

でも私は前とは少し違う。わたしの課長は私に、一生懸命やっていれば、見ている人は見ているといった。そうして続けていると、取引先の中にも、私の立場をわかって、ちゃんと認めてくれる人もでてきた。特に海外のお客さんの中には、私の肩書きなどに関係なく、仕事をしっかり見て私を頼りにしてくれる人がいる。こういうことを、きちんと自分で喜べる自分もいる。

 

20代の借金も精算でき、今は少し貯金もできた。どんなに資格を取っても、世の中はたいして見てはくれないことは知っているけれど、せめて少しは努力していることを、いつか誰かに認めてわかってほしいと願う。

 

留学経験はないが、TOEICも900点以上取れたし、IELTSでもイギリスの大学に入れるレベルに達して、仕事でも毎日英語で会話しているがなんの困ったこともない。中国語の資格も取ったし、簿記や貿易関係も上位試験に合格することができたし、米国の大学のMBA のコースに合格できた。これから卒業に向け仕事をしながらレポートを出していくが。

 

こんなものいくつ並べても職場の人が必要と思わなければ意味がないことを知っているが、商社で働く人間には業務に直結する部分がたくさんある。ずっと自信がなかったけれど、その自信のなさや恐れの思いが、自分を勉強や努力に徹底的に駆り立ててくれたことは間違いない。

せめて会社で10年という節目を迎えた時、食いっぱぐれることがないようにと、思ってきた。

 

海外のお客様は、私の仕事をちゃんと見てくれる。日本の企業の、建前だとか社内の利権争いのようなものに気を取られることなく、成果と貢献を人単位で見つめようとしてくれる。

私が美人でなくても、お酌をしなくても、仕事をちゃんと認めてくれる。

 

こわがっていると、自信がないように見えるし、責任逃れに見えるが、多少誤りがあるかもしれなくても、堂々としていてよい。原因を追求して犯人を探すことよりも、対策を考えらことを重視するのが今私のいる、グローバルチームの在り方だ。今のままで自信を持ってもよい、あなたはそのままでよいといってもらえた気がした。

私が周りと話すときも気をつけている。責めるよりも、解決方法を探ることを重視して、相手を萎縮させないこと。だって完璧な人間などいないのだから。