結婚してみました

私がこのブログを始めたのは、結婚相談所に入会すると決めてお金を払ったからです。うまくいくかわかりませんが、どっちに転んでもそこそこ面白い展開になるかと思って。

4-5月のできごと。

わりと4月の序盤に、自殺をほのめかしまくる男Aから連絡を絶たれた。心配もあったけど、私は正直向こうから拒否してくれてホッとした。

 

そのまま多忙な仕事に突入。忙しすぎてかなり病んでいた。精神的に追い詰められると、早く回復しないとと色々と焦る。でも、焦っている時ほど心は回復しない。

 

4月末。近所の知り合いYから、ゴールデンウイーク中に会おうと連絡がある。一時期はYの優しさに甘えてしまったこともあった。Yはあまり怒らないし、人を責めない。無理もしない。楽な人だ。彼の好意は認識している。一度だけ体の関係になった。

 

でもある時から、私はYは恋愛対象としては見れないと悟った。理由は、彼はずっと実家暮らしで、お母さんの作った料理を40代半ばまで食べてたのだが、お母さんが亡くなってからのYは、食事の時も薄汚れたジャージで来るようになり、お腹がぶくぶくに太り、さらにそれを隠すでもなくピチピチのシャツを恥ずかしげもなく着るようになったから。そのうえ、肉ばかり飲むように食べて、動物的で気持ち悪く思えてきてしまった。さらに最近は酒代をやけに私にたくさん払わせるようになった。

 

5/1。取引先の男性の住む街に旅行に行って、ついでにご飯を食べた。私は一人旅のついでに会うつもりだったが、とても親切にいろんな所に連れて行ってくれた。彼といると楽しくて、幸せだった。そのうえ、好きだと告白された。私は彼の好意にそれまで全く気がつかなかったが、嬉しかった。でもその直後に彼に体の関係を求められた。私はかなり拒んだが、最終的に彼は挿入した。拒みきれなかったのは、嫌悪感でなく迷いだったからだ。その瞬間に私の中で何かが壊れた。男は、エッチができれば気持ちが下がっていくというが、まったくそのとおりで、彼の中で気持ちは下がって行ってしまったようだ。でも私の中では、彼のことを好きになってしまった。7つも年下だから、将来的に結ばれることはないはずなのに、苦しくなった。

 

その上彼は、あなたは素敵な人だから必ず素敵な男が現れると言った。それは、僕とのエッチは遊びだからね、という意味に感じた。私はすでにその人に惹かれ始めていたからこそ、急に崖から突き落とされたような感覚になった。男はやったら終わり、女はやったら始まり。よく言われることだけど、本当にその通りだな。。。でも、ひっぱたいてでも拒むべきだったのか。少なくともずっと優しくしてくれてた彼にそんなことできなかった。どうするべきだったのだろう。男は、狩りの最中は懸命なのに、つったら絶対餌をやらないと聞く。だとしたら私は?どのようにしたら、本当に好きな人と本当に関係を結んで、一緒に生きていけるのだろう。私は自分が、手軽なヤレる女のように見られているとしか思えない。というか、年増の女が独身でいると、それしかいる価値がないの、、、?結婚を望むだけで面倒だと思われて、普通の恋愛感情を持つことさえ許されないかのように見られている気がして、ああ、私の人生って何?と思ったりする。

 

5/2。15年来の知り合いの男Wから連絡がある。話をしたいらしい。でもこの人は非常に精神が不安定で面倒くさい。結婚して子供もいるが、奥さんともめていることを隠して近づいてきた。体に手を出してこないあたりはまだいいけど、最近は長電話をしてくる。そのうえ驚くのが、話に脈絡がなさすぎること。外出中でもなんでも電話をしてきて、突然私の知らない人の話をたくさんする。私はその人を知らないし、特に関心もない。だからなに?と言いたくなる。そして、結局は彼の心の悩みや昔の傷を癒して欲しいと言わんばかりに彼の生い立ちに関する話を聞かされる。さらに彼の話には嘘っぽい話が多くて、どこまで受け止めたらいいのかわからない。その人もまた、40代半ば。いいかげんにしてほしい。

 

5/2。2年前に独身と偽って私に結婚をほのめかして近づき、やり逃げした男Mから突然ラインが来る。非表示にしてたはずなのに、いったいなにごとだろう。もちろん既読無視。徹底的に無視だ。ブロックもいいけど、昔ブロックしたら別のSNS経由でストーカーまがいのことを入れてきた人がいたから、強硬的な対策はしない。今でもこの人のことは許していない。

 

私は、もう、たった1人の誠実な人におさまりたい。体目的ではなく、本当に優しく、生きていくことに真面目な人と生きていきたい。

でも、誰かとエッチをすることについて、とてつもなく罪悪感がある。それが終わると捨てられてしまうような感覚があってこわい。でも拒否をしたらしたで嫌われてしまうような、相手が遠くに行ってしまうような不安感でいっぱいになる。

 

 

 

Aの話。

前から、私に死にたい死にたいと言ってきて悩ませてきた若い男性。酒に酔っては私に暴言を吐いてきて、いよいよ私もウンザリしてしまっていた。元々は友達だったから、うつ症状がつよくなったあとも、友達だった頃のことを思い出してつらかった。そして今日、本格的にサヨナラと言われた。彼は私に依存気味だったから、突き放す必要があると思ってた。一方で、なんとか見守って、彼の心が回復するまで見つめてあげたかった。私が彼の回復を強く望み、できる限り時間をかけて話を聞いたり、外に連れ出したり、暴れた時迎えに行ったりしたんだけど、彼の利己的な態度は全然変わらなかった。助けてあげたかったけど、限界も感じていた。

 

この土日、体調を崩して寝込んでた。そしたら相手から、もう連絡をしないと言われた。寝込んでる相手に次から次へとメールしてきて、やめてほしかった。

 

自分の身を守るために、これで良かったと思うし、相手から私を拒絶させてあげたことで、相手の名誉も守れたのかな。でも、彼は本当の意味で回復してないと思う。それが、とても心配。

 

でも相手にとって私は、ただ利用してただけの存在。僕の理想とする日本人でもなく、意見も合わないし、まったく好みでもないけど、交友関係を広げたくて、利用したかったと、酔っ払って言われた。でも私に友達が少ないから、役立たないと。

そんな風にしか思われてないことは正直ショックだった。私は彼に恋はしていないけど、それでもショックだった。

 

彼がその後精神的におかしくなっていったのを見て、ただの友人として、なんとか助けてあげたかったけどできなかった。不器用な彼の中に、多分私は昔の自分を重ねていたような気がした。

 

これで良かったのだと思う。彼がこのことで回復するなら。でも最後まで、私が人としてこの人を大事にしようと思っていたことが、伝わらなかったように思う。残念だと思う。

カウンセリングの経験

前回の記事で、アダルトチルドレンのことを書いた。人に助けられ、仕事を通して少しずつ自信を回復したと。

 

ただ、ここまでの気持ちになれたのは仕事もさることながら、カウンセリングの影響もある。ここではそのことについて触れたい。

 

《欲望を外に出すということ》

私は今一度、自分を振り返った。

昔から、これが欲しいと言ってはいけないというふうに躾けられてきて、少しでもこうしたいというと大抵否定されてきたから、私を認めてください、こうしてください、と人に頼むことが著しく苦手だった。ただ黙って、自分の成果を遠くでいつか誰かが見ていてくれると信じて、自分の中の認めて欲しいという心を出してこなかった。

 

でも以前、転職などの情報サイトで紹介、開催された、“アンガーマネジメント”という講座に出た時に、素直に私はこう感じる、だからこうして欲しかったのだと伝えてみることで、思ったよりもストレスを緩和することができるのだというのを聞いた。

 

また、以前から少し、自分のこの心の苦しさを改善したいと考えていて、時々電話でのカウンセリングサービスを利用しているが、これも少し私の回復に役立っている。

 

カウンセリングの経験を書いてみる。

①初めて話したカウンセラーさんは女性で、私の母との間の会話の苦しみを再度思い起こさせるような苦しいカウンセリングだったので一度きりにした。

②次に男性のカウンセラーさんと話した。この人は、あなたの会話からは感情が見えないといわれた。事実関係が淡々とは見えるが、あなたの心がそれを見てどう動いたか、どう感じたのかが出てこないと。なにも答えられなかった。まず感情を感じることが先決だと言われたが、意味がわからなかった(今はこのアプローチが正しいとわかる)。この人とは、5回くらい話したが、話すたびに緊張することもありやめた。

 

③次に女性の、仕事の悩みを聞いてくれるカウンセラーさんに出会い、とても癒された。それと同時に、癒されるだけではなく具体的にどうしていきたいのか、揺れ動く自分の心をどこまで外に出すべきか、対策も相談に乗ってくれた。ここで私は、自分が働いてもっと上に行きたいと思っていることを、すなおに初めて人に話すことができた。この方が、”自分はこうしたい、ということで、あの人はわがままだ、ずるい、などと言う人が現れるかもしれないが、やはり自分の心の中にある、愛されたい、認められたいと言う気持ちを外に出して、誰かに受け入れてもらわないことには、解決しない”という言葉が印象的だった。しかしこの人は人気カウンセラーで予約が取りづらくなり、やめた。

 

④次にたまたま、電話の繋がった60代の女性のカウンセラーと話した。この人によると、やはり人の苦しみの根本は実は全部同じで、人に認められたい、愛されたいという気持ちだということ。そして、本当の解決、自分の癒しのためには、それを外に出してわかってもらうよりほかないのだ、ということだった。ただ、心の扉が閉まったままだと、相手からどんなに褒められても、いや、そんなことはない、その人が私を褒めるはずがない、と、拒絶してしまう。

だから手始めに、人から少しでも自分の良いところをほめられたら、それをまず素直に受け止め、書き留めて、覚えておくようにして、相手と素直に会話のできる心の状態に戻そうと言われた。

その人は私の良いところをいくつかあげてくれた。すると瞬く間に自分の心が癒されていくのを感じた。

 

私は、自分のなかにある欲を外に適切に出せてないのだとわかった。幼少期から、あんたは、欲が深いと言われて、我慢しなさい我慢しなさいと言われていた。姉がいつも叱られるのを見て、どうしたら叱られないのかばかり考え、親が求める姿に出来る限り迎合しようと努めていたのだ。多分これは、幼稚園時代からだと思う。

 

そのまま育って思い起こせば、私はいつも母と姉に、なんども長々と同じ愚痴(ほとんどが親戚や祖母に対する恨みつらみ)を延々と聞かされていた。何度か愚痴を聞きたくないと話を遮ったらキレて、私の自己否定の話にすり替えられることが続いた。そんなこんなで思春期以来ほとんど思いを外に出してきていないことに気づいた。そう言えば学生時代、論文は得意だが感想文は苦手だったことを思い出す。

 

37歳になって、初めて自分の心の中の素直な気持ちを、怖がらずに外に出そうと思った。こわくても、もはやそんなに失うものもないほどあらかじめ孤独だし、仕事でも、恋愛でも、本当の欲望を殺して、気づいて、気づいても祈っているだけではうまくいかないことももう知ってる。しかも、気持ちを素直に伝えるとか、相手にお願いすることで、相手に気持ちよく動いてもらうほうが、結果的にいいのだ。

 

私は仕事上、シニアレベルのスタッフになり、自分が良いプレーヤーであることよりも、周りに良いプレーヤーをたくさん集め、うまく働いてもらうようにすることの方が大切であるとわかってきているし、自分はそういう動きができると信じている。

 

私の妹は私とは正反対に、強靭なメンタルをもっているが、よく彼女がいうのは

“別に自分が正しいから、何言われても特に気にしない。周りとも喧嘩にならない。自信があるから。”というものだった。

 

妹は、4人めの末っ子で、親も余裕を持ち、可愛い可愛いと甘やかしてほとんど厳しくしなかった。親は彼女に、こうしろああしろと言わず、妹は姉を見て育つのだからと、より姉や私を思い通りに動かず方向に走ったのだ。

 

末の妹は、そういうわけで、朗らかで優しく、しかしたくましい子供に育った。とにかく気が強くて、誰かにいじめられても負けないし、気にしない。しかも人付き合いがうまいので、就職も結婚もさっさっさと要領よくこなし、もうすぐ三人の子供のママだ。

 

よく母に、お前はプライドが高く、本当に可愛くない子供だ、と繰り返し言われ、これが一番傷ついたのをよく覚えている。

 

私は母から離れてもう20年にもなるのに、その後もずっと、母に求められた鋳型に無理やり流し込まれて成形されそうな気持ちでいるのだ。

 

しかし、プライドとはなんだろうか。自信と同じだろうか。自信満々で偉そうな人をプライドが高い人と揶揄したりするが、実際自信のある人は周りにプライドが高いと言われないのではないだろうか。むしろ自信のない人の方が、自分を大きく見せようとして、周りにプライドを見せつけるのではないだろうか。

 

私は自信がずっとなかった。でもそれを周りに見せつけようともしていないつもりだった。自分の成果を今まで大いに周りにアピールしようとしたことなどない。言ったら周りの反感をかうだろうから。職場でじぶんのバックグラウンドを話したこともないし、プライベートなこともほとんど言わない。それなのに、自分の心の中に、いじめられてはいけない、反感を買ってはいけない、そんな思いばかりが渦巻いて、自分の思いを殺してきた。これがとてもとても苦しかった。

 

もう大人である。親からの庇護はこれまでも期待できなかったし、これからも無理だが、もうそれに頼らなくてもいい。少し心細いけれど、今までだって心細かったし、苦しいけれど他に方法もないし。

 

自分の中でできそうなことを、家庭以外の場所でいろんな形で試してきて、友達や恋人に助けてもらってきたのだから、大丈夫。人生は死ぬまでの暇つぶし。偉くなろうが、庶民だろうが、セレブだろうが、貧乏人だろうが、人に嫌われようが、好かれようが、棺に入って燃えれば同じだ。

生きてるだけで丸儲け。

だったら、自分が心穏やかにいられるために、他人のいうことより自分が確かめて得た答えを結局信じることだ。そう思う。

こわがらない

私は今までずっと、かなりひどいアダルトチルドレンだったと思う。今も結構そうかもしれない。

 

周りのことを信じることができず、常に周囲の目に怯えて生きていたと言っても過言ではない。

 

仕事を転々としてしまったのも、心が折れやすかったからだ。外から受けたストレスを、自分の心の中でさらに巨大化してしまったり、これから受けるかもしれないストレスを想像して、周りに壁を作ってしまう。

 

私の心の中はこうだ。

自分の仕事は完璧でなければ周りから非難されるだろう。用意周到に準備するから時間がかかる場合がある。あるいは、どんどん仕事を頼まれても嫌と言えず、結局とことん最後までやってしまう。しかし残業が多いと仕事の効率が悪いのだと、周りからは思われる。必要なことをこれでも精査して最大限スピード感を持ってやっているのに、なぜ非難されるのだ?私が悪いのか?きっとそうだ、みんな細かいことは考えず、誰も自分の味方にはなってくれない。

 

こんな心の中の敵といつもいつも戦っている。

 

私はダメだ、周りが私を嫌っている、私が嫌われるのは私の中にダメなところがあるからだ、わかっているけどすぐには変えられない。。。

 

こんなに頑張っているのになぜ?

完璧ではないけど努力をしてきたのに。どこまでを目指したら、認めてもらえるの?

 

達成しても達成しても、おまえはだめだという声が聞こえる。お前は可愛げがない、だから人に好かれない、人から好かれないのはだめだ、そんな人間はろくな大人になれない。だから結婚もできないし、仕事でも評価されないんだ。評価されない仕事にしがみついて、馬鹿馬鹿しい。仕事のために別れた男は皆もう結婚して子供をつくった。子供ももう年齢的にできなくなる。中途半端でみじめ。。。

 

周りに対しても妬む気持ちがある。

事実上、仕事を突き詰めてやっておらず、交渉もできず完結させられない若い人でも、総合職というだけで上のポジションにいる。

私はなぜ質的にも総合職を上回る仕事をしているのに、安い賃金なのだろう?もしかして私の仕事は、自分が思うほどやる価値のない仕事なのか?いや、流石にそれは自分でもわかる。そんなはずはない。

 

何もない人だと、だったら希望出せば?

なのだけれど、生まれてから今まで、ほとんどwantを出したことがなかったのだ。子どもの頃から、周りから勧められたことにイエスというだけで、自分からこうしたいからやりたいということを許されてこなかった。次第に、本当は自分で言わなければいけないところまでも、虎が出てこなければ何もしない狐のごとく、自分からやりたいと言って責任を取るということをしてこなかったのかもしれない。

 

こんな思いを、素直に自分の中に認められるようになったのは、実はごく最近だ。

 

アダルトチルドレンの苦しみを解決したいと強く願い、いろんなことを整理したり、アプローチをはじめた。

 

生い立ちをふりかえり整理するとき、親に対する恨みが表面に出てしまう。この親への恨みを認識することは、同時に自分が精神的に幼い人間であると周りに開示することでもあり、恥ずべきことと思って今までできなかった。でもそれは必要なプロセスなのだ。

 

私が親から愛情をもらうには、親の期待通りに動く、という条件つきだった。女の子らしく、口答えをせず、母の希望する服を着て、母が許す部活に入り、母の望む成績を取り、母の望む友人と付き合い、母の許すタイミングで恋人を作り、母の思い描く大学に行き、母の理想とする会社に入ってそこで結婚する。。。。しかもそうならなそうになると、こんこんと人格否定をされ、お金を出してくれなくなった。この頃、母も更年期と貧乏で常にヒステリックだった。しかも、思い込みが激しく、論理的な話は絶対にせず、今の時代で言うところのアスペルガー的要素もあり、親であると言う立場を大いに利用して無理難題を言ってきた。こちらも歩み寄ろうと家の手伝いをたくさんしたが、それを逆手に取り目に入るものすべてを細かなところまで否定した。

 

私は小学校高学年あたりから、一切母の希望するようになれなかった。成績だけは良かったが、母が思うように振る舞おうとすると、友達ができなくなった。中学ではハブられた。どう考えても母のせいであるのに、周りとうまくやれないのは私の性格が悪いからだと母からはさらに追い討ちをかけられた。家では母の思うようにいかないと人格否定と経済的支援のストップという制裁がまっており、その通りにすると学校でハブられるという、どっちに転んでもだめな構図になっていて、私は学校を飛び出すようになった。

 

誰が見ても優等生のように振舞っていた私が豹変したので、担任に呼び出された。担任に一度だけ本当のことを伝えたところ、担任は親を呼び出して、家庭内の問題を指摘した。すると今度は家に帰って、母は私をさらに叱責し、制裁が強められただけだった。さらには、学校のカウンセリングなど受けようものなら、精神に問題がある子供がいるなど親として恥だ、と言った差別的態度まで示したので、私は心を閉ざすしかなかった。

 

16歳で進学校に入学し、私は親の望まない部活にわざと入り、反抗を強めた。おかげで私の高校時代はバラ色になった。しかし高校2年で学校でうまくいかなくなった時、私はまた学校と家庭の両方に居場所がなくなり、ついに死を覚悟で家出をした。

 

しかし、これも結局失敗。200kmほど離れたところまで行ったが、結局夜になっても死ぬ勇気がなかったのだ。

 

それでここから私は、どうすれば、親から徹底的に離れて、自由が認められるのかを考えた。

それが、経済的自立と、物理的に距離を取る、と言うことだった。

 

そこから私の親から離れる計画が始まった。一番大変なのはお金だったが、経済的に弱みを握られていては、自立はできない。大学に行かず働いたほうが早いと思い、一度は大学進学をやめたが、ろくに勉強してこず、チャラチャラした生活を送ってきて、おやに全部お膳立てしてもらうような同級生に、相手が大卒だというだけで、今後数十年も見下されながら行きていくのかと思ったら、なんだか悔しかった。そこで、自分もとことんやれるところまではやろうときめ、旧帝大の地方の国立大学に合格し、授業料免除も受け、奨学金も借りて、なんとか離れることだけはできた。

 

しかし、何をするにも世の中金である。決して贅沢をしたわけではないが、いろんなものを100均で集めたとて、なんだかんだと金がかかる。結局貧乏は本当にしんどい。疲労とストレスで大学生の時にうつ病に、社会人2年目で反応性ストレス障害というものになったこともある。それでも働き続けたが、20代は本当に本当に苦労した。そのうえ転職も繰り返していたから、いよいよ人生終わったという感じだった。

 

28歳で今の会社に入った後も、強くストレスを感じることが多かったが、ここで踏ん張らないといよいよ終わりだと、なんども泣きながら乗り越えて、いま、9年目。9年間の中に、会社を辞めたいと思わなかった日は無い。

 

 

私がアダルトチルドレンという言葉を知ったのはたぶん、20歳の頃だった。私は自分の生い立ちの問題のそもそもの原因は、家庭の経済的な貧困によるものと考えており、大学でもそのような研究をしていたが、内心は経済力という指標のみならず、親子関係にもなんらかおかしなことがあると考えていて、様々な本を読んだ。でも、改善するためのメソッドには、やはりお金がいるようだった。やはり、経済資源が限られていると、選択できないことが多すぎる。経済的困窮者はとかくメンタル面での困難を抱えやすく、それ故にまた稼げなくなるという負のループの中にいるというのに、メンタル面での困難の克服に際してカウンセリングの料金は高すぎて、解決の手段がない。しかも、周りに対して不信感を抱いてしまっているから、安易に心を開くこともできない。

周りにたった1つの安心できる関係がないということは、もはや堕ちるところまで堕ちるということだ。

 

私を救ったのは、大学時代の友人であり、のちに恋人になった人物だ。私が親とうまく行かず孤立し、しかし病でどうしようもないとき、その全てを無条件に受け入れ、生活支援までしてくれた人だ。ところが彼の住む地方都市には仕事がなく、私は彼に負担をかけるばかりで自分の存在意義がないことで苦しみ、愛情と依存の境目もわからなくなり、ついには彼に結婚を迫って苦しめてしまい別れた。

 

最終的には結婚を諦めて東京に戻り、必ず正社員でまともな会社で働くと決意。私はもはや、働くしかない。出稼ぎ労働者の気分であり、逃げる場所はもうないと考え、今9年目にいたる。

今も日々仕事でとてもストレスを抱えている。

取引先に言いがかりをつけられたり、全ての努力をかっさらわれたり、よく状況のわからない人が有る事無い事を言って責任をなすりつけて来たりする。

 

でも私は前とは少し違う。わたしの課長は私に、一生懸命やっていれば、見ている人は見ているといった。そうして続けていると、取引先の中にも、私の立場をわかって、ちゃんと認めてくれる人もでてきた。特に海外のお客さんの中には、私の肩書きなどに関係なく、仕事をしっかり見て私を頼りにしてくれる人がいる。こういうことを、きちんと自分で喜べる自分もいる。

 

20代の借金も精算でき、今は少し貯金もできた。どんなに資格を取っても、世の中はたいして見てはくれないことは知っているけれど、せめて少しは努力していることを、いつか誰かに認めてわかってほしいと願う。

 

留学経験はないが、TOEICも900点以上取れたし、IELTSでもイギリスの大学に入れるレベルに達して、仕事でも毎日英語で会話しているがなんの困ったこともない。中国語の資格も取ったし、簿記や貿易関係も上位試験に合格することができたし、米国の大学のMBA のコースに合格できた。これから卒業に向け仕事をしながらレポートを出していくが。

 

こんなものいくつ並べても職場の人が必要と思わなければ意味がないことを知っているが、商社で働く人間には業務に直結する部分がたくさんある。ずっと自信がなかったけれど、その自信のなさや恐れの思いが、自分を勉強や努力に徹底的に駆り立ててくれたことは間違いない。

せめて会社で10年という節目を迎えた時、食いっぱぐれることがないようにと、思ってきた。

 

海外のお客様は、私の仕事をちゃんと見てくれる。日本の企業の、建前だとか社内の利権争いのようなものに気を取られることなく、成果と貢献を人単位で見つめようとしてくれる。

私が美人でなくても、お酌をしなくても、仕事をちゃんと認めてくれる。

 

こわがっていると、自信がないように見えるし、責任逃れに見えるが、多少誤りがあるかもしれなくても、堂々としていてよい。原因を追求して犯人を探すことよりも、対策を考えらことを重視するのが今私のいる、グローバルチームの在り方だ。今のままで自信を持ってもよい、あなたはそのままでよいといってもらえた気がした。

私が周りと話すときも気をつけている。責めるよりも、解決方法を探ることを重視して、相手を萎縮させないこと。だって完璧な人間などいないのだから。

 

 

 

Mの話。

ちょっと気になる人ができて。

相手は35歳男性。

ネットワーク系のエンジニアだ。

 

最初相手も乗り気だったが、どうも最近よそよそしい。よそよそしくなったタイミングというのが、写真を公開した直後だから、十中八九、脈なしと感じる。

 

まあ、特に失うものもないので、少し押してみた。会いたいと。

相手は、スケジュールを調整してみるというが、その後特にアップデートなし。

 

ラインではとても親切だし返信も早いけど、どうも相手はこっちに気持ちが向いてない気がする。

 

でも、私はこの人は間違いなく人として優しくきちんとした方だと思うし、容姿もイケメンではないけど私はとても好みだ。

 

なので、期限を決めて、もうちょい迫ってみる。

 

まるで、営業のアクションプランみたいだ。

 

せきらら

最近、思う。私は恋愛に向いていないと。

なぜならば、気になる人にほど本当のことが言えないから。

 

昔付き合った人には、本当の気持ちではなく、相手が求める答えばかりを言おうと努力していて疲れてしまい、別れたことがたくさんあった。

 

それで最近、勝手に自分の中で素直になってみないかキャンペーンをはじめてみた。

 

素直になってもならなくても、結果はそんなに変わらない。

信じても信じなくても、ふられるときはふられる。だったら素直になって相手に本当の気持ちを伝えることを習慣化してみようかと思っているところ。

 

私我慢していると思ったら、本心と抑圧を書き出して、すこしだけでも本心の方を多めに出してみようかなあと思っている。

Tの話。

今日は初めてのお見合いだった。乗り慣れた電車で行くはずだったのに、緊張しすぎて電車を乗り越し、なんと遅刻してしまった。

 

相手の方は、プロフィール通りの方だった。

◎良かった点

自分からたくさん話をふってくれた

誠実にいろんなことに答えてくれた

真面目で将来に責任を持とうとしていた

◎悪かった点

緊張していたのかもしれないが、最初ちょっと横柄な感じがした

コミュニケーションが得意じゃない気難しい感じの人のような気がした

私は専業主婦ではないが、専業主婦を見下している感じがした

 

次に進むかどうか、迷っている。人は最低でも三回会わないとわからないと思う反面、笑顔があまりなくて何考えてるかわからないというところもあって、微妙です。